其の拾八『オイラ的最強ファンタジー!』の巻 |
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『史上最強のファンタジー!』といえば、今や誰もが認める『ハリー・ポッター』シリーズだが、オイラが過去最もハマッたファンタジーは『モモ』だった。 ミヒャエル・エンデ作『モモ〜時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語〜』。 今日はこの物語についてお話しよう。 ミヒャエル・エンデと言えば、この作品の他にも『はてしない物語(「ネバーエンディングストーリー」と言ったほうが馴染み深いかな?)』や『ジム・クノップフと機関手ルークス』などの作品があるが、オイラはやっぱり『モモ』が好きだ。 モモは浮浪児の女の子です。くしゃくしゃの黒い巻き毛、大きくて真っ黒なその瞳、やせっぽちで背が低くて、なんにも履いていない足をいっつも真っ黒にしている。身につけているものといえば、だぶだぶの男物の上着と、ありとあらゆる色のツギハギを足した長いスカート。そんな姿に加えて、モモは数をあらわす言葉だってほんの少ししか知りません。「年はいくつ?」と聞かれても「百二」、なんて素っ頓狂な数を答えたりするのです。 でも街の人は、みんなモモが大好きです。 モモはとても聞き上手なのです。モモに話を聞いてもらうだけで、不思議と今まで喧嘩をしていた人たちが仲良くなったり、遊びが途端に楽しくなったりします。モモがいるだけで、楽しく暮らしていけるのです。 ある日モモの暮らす街に、「灰色の男たち」という不思議な連中が姿を見せ始めます。灰色の男達はその名の通り、灰色のスーツを纏い、灰色の固くて丸い帽子をかぶり、灰色の自転車を走らせ、灰色の書類カバンを持ち、そして何故かいつも灰色の葉巻をふかしています。この男達が現れてから、街はすっかり変わってしまいました。のんびりと心穏やかに暮らしていた住人たちは、急にせかせかと仕事を始め、『時間節約こそ幸福への道!』なんていうポスターが窓ガラスに貼られるようになりました。時間の節約を始めた人達は、みなお金を余計に稼ぎいい洋服を着ました。けれど彼は何故か、いつも不機嫌な、くたびれた、怒りっぽい顔をして、とげとげしい目つきをしていました。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。 「灰色の男たち」の正体は、実は時間泥棒だったのです。 時間泥棒たちの手口はこうです。まず人々に、今の生活の中でどれほど時間を無駄にしているかを計算します。例えば、睡眠時間。食事の時間に、友達とのおしゃべり、足の悪い友達へのお見舞いまで、灰色の男たちに言わせれば「時間の無駄」ということになってしまうのです。そこで灰色の男たちはこんな提案をします。・・・時間を倹約して、わたしどもの時間貯蓄銀行に預けてみませんか?時間貯蓄銀行はただ預かるだけではなく、利子もおつけすることが出来るのです。こうして今から倹約していけば、あなたが62歳になったときに、今まで貯めていた時間と利子を手にすることが出来るのですよ・・・。不思議なコトに、街に人たちはこの「灰色の男たち」の存在を覚えていません。彼らが去り、吸っていた灰色の葉巻の煙が薄れると同時に、「灰色の男たち」のことだけが人々の頭の中からすっかり消えてしまうのです。時間泥棒たちはこうして人々から時間を盗み、それを葉巻に変えて生きているのです。 しかし灰色の男たちはヘマをしました。 思い出して下さい。モモの特技は人の話を上手に聞くことが出来ることです。灰色の男たちのうちの一人はついついモモに喋ってしまったのです。・・・自分たちの正体のことを・・・。モモは本当のことを知りました。街の人たちが時間をいくら節約したところで、それは人の手には残らず、全て灰色の男たちが使ってしまうことを。モモはそれを街の人たちに知らせようとします。けれど街の人たちはそんな話に耳を傾けようとはしませんでした。そしてその行動はついに灰色の男たちの耳へと届くのです。秘密を知られた灰色の男たちは、モモを捕まえようとします。そんな危機をまだ知らないでいたモモのもとには、口元に不思議な微笑みを浮かべたカメが現れました。「おまえはだれなの?」と尋ねるモモが見たのは、甲らに浮かび上がったほんのりと光る文字。その文字は、モモにこう言っていました。 『ツイテオイデ!』 こうしてモモはその不思議なカメの後を追って、ゆっくりと歩き始めたのです。時間を司るマイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラの住む〈どこにもない家〉へ・・・。 ココから先の展開は是非とも、ご自分で『モモ』の本を手にとって読んでいただきたい。オイラもこの文章を書くために久々に本棚の奥から引っぱり出して読んでみたのだが、全355ページを余すところ無く楽しんでしまった。楽しみすぎて、そのまま自分のやることを忘れ、スウスウと気持ちよく眠入ってしまうところだった。(笑)「ハッ!っていうか、趣味の小部屋書かんとアカンやん!その為に読んでたんやん俺!!」・・・気付いてヨカッタ!(七海、まだまだ脳味噌動いとる。) ファンタジーものに共通することといえば、きっと「読んでいて我を忘れる」コトだろう。『果てしない物語』でバスチアンがアトレーユの物語に引き込まれていったように、いつの間にか登場人物達と同じ空間にいる。『モモ』の世界は、魔法や剣は出てこないけれど、いつも温かい想いに満ちている。モモと、モモに関わる人たちはお日様に干した後の毛布のような温かい心を持っている。モモが大好きな友達・無口な道路掃除夫ベッポも、物語を生み出す天才である観光ガイドのジジも、甲らに文字の浮き出る不思議なカメ・カシオペイアも、時間の世界に住み時間を司るマイスター・ホラも、みんなみんなとてもモモのことが好きで、彼女と優しい気持ちのやりとりをする。 とてもせつなくて好きな場面にこんなのがある。 観光ガイドのジジもまた灰色の男たちの策略にハマり、作家として時間に追われる日々を過ごしていた。しかし彼の語る物語は、もう昔のモモに聞かせたような「ほんとうの物語」ではない。操られた物語を語ることに彼はもううんざりしていた。そこへモモが現れる。ジジは目に涙を浮かべて、「ぼくといっしょにいてくれ!」と言うのだ。そうしたらまた、昔語ったようなジジの「ほんとうの物語」が語れるかもしれない、と・・・。 『モモはジジの力になってあげたい気持ちで、いっぱいでした。そうしたくて、心がうずくほどでした。けれどモモは、いまジジの言ったようにしてはいけないと感じました。ジジはまたもとのジジにならなくてはいけないのです。でももしモモがモモでなくなってしまったら、その彼の力になってあげることなどできません。彼女の目にも涙があふれました。彼女は首をよこにふりました。 ジジには彼女の気持ちがわかりました。彼はかなしそうにうなずくと、じぶんでやとった女の人たちに引っ張られるようにして、はなれていきました。とおくでもういちどふりかえって手をふるジジに、モモも手をふってこたえました。それっきり、彼のすがたはみえなくなりました。 モモはジジと会っているあいだじゅう、とうとうひとことも口をきけませんでした。言いたいことは、あれほどあったのに!ようやくめぐり会ったものの、そのためにかえってジジを失ってしまったような、そんな気持ちでした。』 (『モモ』p278より ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 岩波書店) なにかと忙しい世の中だけれど、ほんの少しゆっくり歩いてみるような気持ちで、『モモ』を読んでみてはいかがでしょう?ミヒャエル・エンデの作品では、他に映画化でも有名になった『果てしない物語』のことも紹介したいのだが・・・ 『けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。』 (『果てしない物語』より) (『ネバーエンディングストーリー』の映画とえいえば、一作目の他は見事に失敗していたが(笑・それというのも全てはアトレーユの美しさのレベルが落ちたせいだと思うの。アトレーユといい、幼ごころの君といい、一作目がダントツに美しかった・・・!)、『モモ』の映画は原作にとても忠実で画面も美しくとても満足した覚えがある。本を読むのが面倒臭いという方は、是非とも映画を見てみて下さい。さて、最近大変憤怒したことがあったのでそのエピソードなどを紹介しやしょう。先輩Yと七海の会話です。「というわけで、最近この男の子にハマってるんッスよ!」「あきやまれんだっけ?」「ハイ!」「へえ。え?れんってどういう字書くの?」「アレっすよ。あの、はす、っていうか、ほら、草冠に連なるって書いて・・・」「ああ!蓮根(レンコン)の蓮ね!!」「・・・・・」呆然としたよアタシゃあ。あんまりだ!仮にもハマッてると宣言した人を「レンコン」扱いとはッ!(まあレンコンは好きやけどね。正月に出てくる薄く切った酢漬けとか・・・。)蓮くんのクールなイメージがガラガラと音をたてて崩れていくぅ・・・。いやあ、ははは、ほんと久々ですよ、こんなに・・・人をブン投げたいと思ったのは。) |