其の弐拾七『戦え!インフルエンザウイルスと!』の巻



 世間の流行にのるまいと日々頑張って生きてきた僕だが(そうだったのか・・・)、とうとう日本全国をも巻き込んだ流行の渦に飲み込まれる時が来たのだ。
 その流行とはズバリ『インフルエンザ』。
 あの日本列島インフルエンザ感染分布図の、真っ赤な点の一つに僕はなったのだ。お父さん、お母さん、あなた方の子どもは『インフルエンザウイルス香港A型』に堂々と感染いたしました・・・。
 イヤ、参った。
 芸能人の皆さんが、インフルエンザにかかることによりドラマを降りたり、番組を休んだりというニュースを聞くだに、「情けねえぞ、オメエら!根性見せろ、根性を!」と思っていた僕だったが、スイマセンほんとスイマセン。
 ありゃあ、もう仕事が出来る云々のレベルじゃない。仕事どころか、まず起きあがれない。起きあがれないついでにトイレにも行けない。どうにもならずに体を起こしてトイレに向かうと、熱のあまりガクガクと震えるのだ。まるでお迎えの近い老犬のようにブルブル震えながらトイレとベッドとの道を歩くその様を見た者は、あまりの哀れさに滝のような涙を流したことだろう。
 まず真夜中に突然の寒気が襲ってきた。背中から包み込むようにやってくる雪女の如き冷気に、慌てて羽毛入りのジャンパーを羽織る。動けるうちにと、クローゼットからお客様用の布団を引っぱり出していつもの布団の上にかぶせ、電気毛布の目盛りを強まで回しきる。熱を計ってみたら案の定すでに38度を回っていたが、僕の中のナース七海が「熱があるからと言って安易に冷やしてはダメよ!寒気がするときには、とことん温めるの!患者さんが熱さを感じて汗をかくまで冷やすのは待つのよ!」と、どこで仕入れたかもしれない情報を頭の中で熱弁するため、アイスノンは冷凍庫の中で待機させたままにしておくことにする。
 温かさに身をゆだねてウトウトすること3時間。いつもの目覚ましで目を覚ませば、熱は39度を越していた。人は不思議だ。ココまで来ると最早笑いすら浮かんでくる。「ふふふ。39度だってよ。あと1度か2度あがったら死んじゃうぜ、俺。うへへへ・・・」。時折咳き込むと、頭が割れるように痛い。明治時代の人か江戸時代の武士ならば、ここで一発「ええい!殺せぃ!」と叫ぶところだが、僕は自分の身が一番大事な現代人なので大人しく寝ていることにする。本当はすぐさま病院に行かねばならないところだが、あまりに熱がヒドイために頭も体も動けず、その日はグンニャリと寝ているしかなかった。
 その日は僕の誕生日だった。本来なら友達のダンナが焼いたケーキを囲んで、友達連中とワ〜ワ〜やっている頃なのに、当人がこの有様では仕方ない。病状のメールを送った友達はみんな口々に「七海もとうとう年貢の納め時か・・・」と呟いたと言う。
 インフルエンザ感染も2日目になればなんとか病状も安定(?)し、自ら病院に赴くことが出来た。しかし、39度3分という高熱を抱えてなんとか辿り着いた病院では、恐るべき一言が待ちかまえていたのだった。「インフルエンザの検査キッドが午後にならないとこないので、また午後になったら来てくれますか?」。・・・・は?この僕に、39度の熱を持ったこの僕に、午後にまた来いと言うのかオマエは!!僕は熱でクラクラする頭をなんとか支えながらガツンとこう言った。「・・・午後の診療は何時からですか?」。
 仕方がないので家で少し休み、午後になってから出向いた病院で、僕は『インフルエンザ香港A型』と診断された。東京なんかでは薬不足が問題になっているようだが、僕の住んでいるK市ではかろうじて薬のストックがあるらしく、インフルエンザの特効薬であるタミフルカプセルを処方されて帰ってきた。
 さすがは特効薬、飲み始めると熱はみるみる下がっていった。食欲はないのだが、薬を飲むために仕方なくヨーグルトを食べる。味がしない。このインフルエンザにかかって以来、何故か炭酸飲料がまったく美味しくなくなってしまった。これはとても不思議なことだ。炭酸飲料を飲んでも、甘さがまったく感じられないのだ。他の食べ物は熱が下がってからは別段問題なく美味しくいただけるのだが、炭酸飲料だけはどうもダメだ。炭酸飲料が最も美味しい季節・夏になるまで治って欲しいものだ。
 タミフルカプセルの活躍で、おそらく僕の中で大活劇を演じていたインフルエンザウイルスは死滅した(と思われる)。だが、まだその後遺症は深く、喉が裂けて咳が止まらない。TBSアナウンサーの安藤さんによく似たこゆうい顔の医者が「タンが赤いでしょ?だって七海さん、喉裂けてるもんねえ〜」とかるうく言ったのだから間違いない。僕はあの時の(通称)アンディの半笑い顔を生涯忘れはしないだろう・・・。


(インフルエンザにかかっている最中、笑うと咳き込んでしまい、気管支と頭が割れるように痛くなるのでなるたけ笑わないようにしていました。頬の一つも動かさず無表情にお笑い番組を見ている僕の姿は、相当不気味だったらしいです。だったら見なきゃいいのに、とお思いでしょうが、僕はお笑い番組ナシでは生きていけない体質なのでコレはもう仕方がないのです。そういえば『龍騎』が終わって以来、久々に松田悟志くんをTV画面で見る機会があって大変幸せでした。よし!まだまだ行ける!!(何が?))

A Theatrical Campany yakoudou