其の参拾参『嗚呼、異空間!〜僕の愛するお稲荷さん〜』の巻 |
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おいなりさんが好きだ。 とはいえ、食うおいなりさんではない。食うおいなりさんも勿論好きで、運動会のお弁当に入っていたりなんかするとかなり嬉しかったものだが、今はそのおいなりさんの話ではないのだ。 神社である。 あの「ケーン!」って感じの狐が祀ってある、あのお稲荷さんの話だ。 僕はあのお稲荷さんが大好きで、通りがかりだろうが、車の中からだろうが、あの「ケーン!」という顔と「稲荷神社」という真っ赤なのぼりを見つけると、ついつい拝み倒してしまう。何をお願いするわけでもないのだが、あの顔を見ると自然と手を合わせてしまうのだ。もしかしたら、僕が覚えていないだけで、小さい頃に山で迷子になって、野犬に襲われそうになったところを狐に「ケーン!」と助けてもらったというエピソードでもあるのかもしれない。それとも、罠にかかった狐を助け、その晩に妙に目の吊り上がった男性が現れ「どうか絶対に見ないでくださいね」と言うのだが、彼の言葉を破り毛皮のマフラーを作っている現場を見てしまい、彼はそのまま狐になって「ケーン!」と山に帰っていた・・・などのエピソードがあったりしたのだろうか。あまりにショッキングな出来事だったため、両親が催眠療法で狐との別れを忘れさせているのかも知れない。 それを抜きにしても、稲荷神社は好きである。 なんせ不気味だ。人があまり居ない。大抵は敷地の端っこのほうにひっそりと建っている。素晴らしい。なんて僕好みのシチュエーションなのだ!そしてまた稲荷神社に付き物の真っ赤な鳥居も、鮮やかさが妙に不気味で良いじゃないか。そいつをくぐってお社に目を向ければ、そこにはお狐様の姿が・・・。そのまま取って食われそうな迫力がなんともいえない。お賽銭を入れて拝んだ後ですら、背中を向けた途端に神隠しに遭うのではないかというドキドキ感が、またしても僕のココロをくすぐるのだ。 今まで見てきたお稲荷さんの中でもお気に入りの場所が二つある。 一つは会津若松鶴賀城の敷地内にあるお稲荷さんだ。秋になると黄色一色に色づく銀杏のそびえる階段を延々と登ると、そこにひっそりと佇んでいるお稲荷さん。階段を登りきると、まるで神社の狛犬のように、二体のお狐様が凛と背筋を伸ばして立っている。まさに狛狐だ。幼い頃、僕はこの二体の狐がとても気に入っていて、その鋭い瞳にゾクゾクと身を震わせながらいつまでも飽きることなく見つめていたものだ。そのお稲荷さんのある場所は、鬱蒼とした木々に覆われて常に薄暗く、石の階段を降りて日の当たる場所に戻ってくると、「ああ、今日もさらわれずにすんだ」とホッとするのだった。「家に帰るまでが遠足」と同じように「石段を下りて日の当たる場所に足をつけるまでがお稲荷さん参り」なのだ。是非とも覚えておいていただきたい。 思えば、小さい頃の一番の冒険は、このお稲荷さん参りだったかもしれない。父とハハを階段の下に残して、ひとりで上のお稲荷さんにおゼゼをあげてお参りしてくる。行きは意気揚々と登ってきた石段を、帰りはダッシュで走り降り、太陽の光の中にコッチを見ながら立っている両親の姿を見つけてホッとしていた。 会津のお稲荷さんは思い出深い場所である。 もう一つは、西新井大師の敷地にあるお稲荷さんだ。こちらのお稲荷さんはけっして大きくないのだが、目を引くのは何重にも何重にも建てられた真っ赤な鳥居が、異空間ぽさを漂わせていて大変気に入っている。小さくて細い真っ赤な鳥居たちをくぐって、お社までの石段を登る。それをのぼり終えると、お社の中に小さいが凛と美しいお稲荷さんが待ちかまえている。クルリと背中を向けて石段を下りている時にも、なんだか後ろでニヤリと笑っていそうな不思議感がとても良い。 お稲荷さんは異空間なのだと思う。ひっそりと、それでいて満点の存在感で、僕の神経を刺激する。そのまま異空間に引きずり込まれて行くような不安感と、心地よさが堪らない。 我が家の敷地の隅にも実は小さなお稲荷さんがある。石造りの小さなお社の中に、瀬戸物で作られた真っ白なお稲荷さんが佇んでいる。目の端には真っ赤な線。実家に帰る度に手を合わせているのだが、やはり背中を見せた瞬間にニンマリ笑っているような気がしてならない。 お稲荷さんに行った時には背中に気をつけよう。もしかしたら、そのままお稲荷さんに連れて行かれるかもしれないのだ。今この場所とは違う、異空間へ。 (京都に旅行に行った時も、年頃の娘たちが縁結びの神様に夢中になっている横で、ひそかにお稲荷さんを拝みまくっていた七海なのでした〜。←「今日のわんこ」風に) |