其の参拾六『呆然、呆然、また呆然』の巻 |
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あ〜あ〜あ〜あ〜オニギリを床に落としてしまった。 呆然としたままけっこうな時間がたってしまったので、もうとっくに三秒ルール(「床に落ちたモノでも、三秒以内に拾えばセーフだ」とされる画期的食物救済ルール)の域を越えている。ああ、床にへばりついた飯粒を前に、この僕はいったいどうしたらいいんだろう。 @お米の神様(一粒に五十人いるらしい)に謝り倒しながら、潔く片づける。 A「俺の中でまだ三秒は経っていない」と居直って、潔く食う。 Bそのまま上にザルを取り付け、スズメを捕獲してみる。 Cお母さんに泣きながら電話する。 Dいっそ踏み固めて餅にする。 Eさらにこねて糊にする。 Fそんな事実は最初からない。 坂に落ちたオニギリはそのまま転がり続けてねずみの穴に入るものだが、僕のおうちの平坦な床に落ちたオニギリの行く末はいかんともしがたい。 オニギリに限らず、床に落ちた食べ物からは、なんとも言えないせつなさが漂ってくる。 そういえば僕は、夜中真っ暗な中床に置いておいたファンタ○レープの缶を素足で踏み抜き、足の裏を血で染めたことがあったが、あれは大変悲しい出来事だった。 僕の友達は、高速道路のSAで買ったバカ高い高原ミルクソフトクリームの「クリーム」部分を駐車場にまるまる落として、コーンだけを手にしたまま、呆然とそのクリームのとけゆく様を眺めていたことがある。とぐろを巻いていた白いクリームの山が、ゆるゆると崩れ、獲物を見つけたアリンコたちが群れ集り、やがて山が真っ黒になるまで、友達はその様を口を開けたまま眺めていた。 人はあまりに衝撃的なことがあると、どうすることも出来ずに口を開けたまま、ただただ立ちつくしてしまうものである。 例えば、夜川べりを歩いていたら目の前に河童が現れる。 これはビックリだ。呆然度はかなり高いだろう。呆然としているうちに、ガッツリと相撲をとらされていて、あまつさえ土俵際に追い込まれているかもしれない。 船に乗っていたら船幽霊の大群に出会い、「はよせな」とパニクり、とっさにまだ底を抜いていないヒシャクを放り投げてしまった時。これも相当の呆然度だ。確実に自分のせいで今船は沈没の一途を辿っている。しかもそこで溺れ死ぬ自分も、もれなく船幽霊のひとりにメンバー入りするという嬉しいオマケもついてくるのだから、もうこれは涙を流しながらただただ立ちつくすしかないだろう。 山で天狗と目が合った。どうしようもない。 便所でまさに自分の尻コ玉を抜こうとしている河童を見てしまった。 油なめが夜中に行灯の油を舐めている、まさに幸せの絶頂の顔を見てしまった。 天井舐めが天井に舌で絵を書いている現場に居合わせてしまった。 夫の浮気現場を目撃してしまった。 しかも相手がオトコだった。 想像してみていただきたい。 きっとあなたはその場に呆然と立ちつくすことだろう。 僕の友達は、大事にとっておいたハズのチャーシューの存在を迂闊にも忘れ、飲み残しのスープと共に残飯入れのポリバケツに流してしまった、という悲しい過去を持つ。彼女はそのまま呆然モードに突入してしまい、思わず手にしていたラーメンの器までポリバケツの中に取り落とし、学食のオバチャンに大目玉を食らった。 どんなに薄くても、どんなに小さくても、チャーシューの存在は大きい。 それを自らの手で捨ててしまったという大きな傷を背負った彼女が、そのままドンブリすらも手放してしまったことを、僕は責められはしない。 帰りの車の中で、虚ろな目でパリパリとコーンだけを頬張り、あまつさえ我々に「食う?」と無表情に勧めてきた友達を、僕は無下には出来ない。 自分に何が起こっているか解らないまま河童に投げられ、そのまま河童の世界へ連れ去られた見ず知らずの人を、僕は優しい気持ちで見送ってやるしかないのだ。 そしてまた、目の前に半分潰れた形で床と密着している握り飯も、どうしていいかわからないまま、時が刻々と過ぎていく・・・。 嗚呼、握り飯。 君は僕に食べられるのがイヤだったのかい? それとも、空腹の僕を焦らして楽しんでいるのかい? フフフ、お茶目なヤツだなあ。 フフフフ〜アハハハ〜。コイツゥ〜。 いい加減片づけろよ。 (春先には春キャベツのコールスローが出回ってきて大変嬉しいッス。サラダで好きなのは、アールエ○ワンのパリパリサラダ。これはいつ何時食っても文句ナシにウマイ。二百グラムくらい買ってバリバリ食らうのがよい。コンビニではちょっと前からサラダとドレッシング別売りになってますが、これは僕みたいなモンには大変嬉しいシステムで、ワカメ海草サラダだろうがなんだろうが迷うことなくフレンチドレッシングをかけて食べます。これもまたウマイ。春は最もサラダのうまい時期だと思います。) |