其の四拾『肺炎はいかにして僕を野菜嫌いにしたのか』の巻



 肺炎の話をしよう。
 とはいえ、今世界をビクビクの渦に巻き込んでいるSARSの話ではない。僕が小さい頃にかかったマイコプラズマというウイルスが原因の肺炎の話だ。
 その時僕はかなりの勢いでグンナリしていたのだと言う。
 熱にうなされ、口と目を半開きにしたまま、瀕死の鳥のように布団に横になっていた。
 その前に何度か医者に行ったのだが、その診断は「風邪」。薬を飲ませても食物を口にしないグンナリした子どもを見た両親が、別の病院に行ってみれば、ソコのジイサン先生は「はひゃ〜」と甲高い声をあげてこう続けた。
 「あんたこりゃあ肺炎だよ。肺がマックロだぁ〜」
 他のことは一切記憶にないのだが、何故かこのジジイ先生の素っ頓狂な声だけはよくよく記憶に残っている。
 「ジジイ、てめえ、七海家にとってもの凄く緊迫した場面を、オモシロ場面にしやがって・・・!このままここで死ぬようなことがあったら、死んでも死にきれん!!なんで最後に聞いたこの世の声が「はひゃ〜」なんじゃ!!(七海明美9歳・心の声)」
 瀕死ながら幼ない僕は密かにオイシイところを持っていったジジイに怒りを覚えていたのだった。
 ジジイは言うことこそすっとぼけているが、それなりにいい医者だったらしく、僕に入院施設のある他の病院を紹介してくれた。
 ロクな栄養を摂ることが出来なかった僕には、早速点滴が打ち込まれた。コイツを何も食うことなく三日間、三日間も打ち続けたのである。
 あの時の僕は、どこへ行くにも点滴と一緒だった。
 まさにネロとパトラッシュのように、トムとジェリーのように、おすぎとピーコのように、ビスケット一枚あったらジョリーと僕とで半分こ状態だったのである。トイレに行くにもカラコロと、僕は彼を連れて歩いた。なんせ一緒にトイレの個室にまで入った仲である。きっとあの頃の僕らは、お父さんとクゥちゃん(どおするぅ〜♪)よりも深く愛し合っていたハズだ。
 僕のハハは毎日病院に寝泊まりしていた。
 ある日ハハに「暇だから本を買ってきておくれ」と言ったら、ハハは小学生用の物語本を数冊を買ってきてくれたのだが、其の仲に学習誌を一冊密かに潜り込ませていた。おお、ハハよ、君は僕がこんな状態でも勉強しろというのかい?僕は少しブルーになった。
 父は会社帰りにパパイヤの入ったタッパーを持ってやってくる。当時の僕はパパイヤがブームだった。うめえものなんかなんもないような戦後の子どものような食生活を送っていた僕にとって、この甘い南国フルーツはまさに幸せの象徴だったのだ。退院してからもパパイヤブームは持続していたが、いつしかそれも廃れてしまった。やはり選択肢の自由な娑婆に出て、「パパイヤだけが幸せじゃない」ことに気付いたのだろう。しかしあの時の、ジンワリ口に広がる南国の甘みは、やはり今でも思い出の味ではある。
 点滴のみで栄養をとっていた最初の三日間を過ぎ、普通食を口に出来るようになると、僕は見る見る元気に回復していった。ある日、退屈のあまりベッドの横にある太めの手摺りに登ってパジャマのまま遊んでいたら、たまたま通りかかった看護婦さんに「明美ちゃ〜ん、安静にしてないと、退院させないわよ〜ぉ。」と言われた。彼女の顔は確かに完璧な笑顔をキープしていたが、その目は決して笑っておらず、「アタイの言うこと聞かないと、もんの凄い目に遭うことになるよ」とヤンキー姉御風に脅されたような気がして、僕はいそいそとベッドの中に潜り込んだのだった。
 おお、看護婦さんのブラック面!お仕事ご苦労様ッス!
 青菜。ほうれん草のおひたし。いんげんのゴマ和え。カボチャ。やわらかめのごはん。おつゆの中にも青菜が入っている。僕は病院の御飯が嫌いでたまらなかったが、唯一水曜日の昼食だけは麺が食える日として密かに楽しみにしていた。嗚呼、青菜攻めの毎日に、ふと一筋の光明のように神々しく輝く焼きうどんよ!君の前にはオヤツのゼリーだって色褪せる。僕が退院する前に病院で食べた最後の食事が、この麺食だった。まさに運命。
 しかし病院の食事の情けない食器類はなんとかならんもんか。あの給食のような安っぽい入れ物に、ただでさえ避けたい野菜類がのっていると、もうコイツはうんざりの極致である。せめて九谷焼とかにしてくれ!それじゃなかったらキティちゃんとか、なんとかレンジャーの描かれた皿にして欲しいものだ。
 僕はおそらくこの時の影響で、野菜が嫌いになったのだと思う。
 二週間ほどの入院を余儀なくした肺炎は、今でも僕の肺に少しばかり黒い影を残している。健康診断などでレントゲンをとると、大抵の先生が「ココなァ〜。なんか微かに黒いんだけどなんだろうなァ〜」と気に掛けてくれる。「小四ときに肺炎やったんす」と言えば、「あ〜はいはいはいはい、肺炎ねェ〜(どもっているワケではない)。じゃあ問題ないっしょ〜」。センセイはけっこう軽い。
 昔はこのマイコプラズマ、オリンピックの年に流行ると言われていたのだが、どうも今は周期が狂って必ずしもそうではないらしい。その後も僕は何度かこのウイルスに感染し、気管支炎で病院に通ったりしている。医者からその名を聞く度に「ああ、またオマエか。また僕のところに遊びにきたのかい?」と、まるで根暗な級友が部屋にやってきたかのような湿った気持ちに襲われる。僕にとっては馴染みの客だ。
 病室のベッドで眠っていた。
 僕のハハも看病で疲れたのか僕の膝の辺りで眠っている。
 ウトウトして意識がなくなって、どのくらい眠ったのか、ふと目を開けたらハハと話をしている担任の先生の顔が見えた。
 しまった!
 口を開けてポカンとした間抜け寝顔を見られてしまった!!
 は、はずかし〜。
 僕はそのまま目を閉じて、眠ったフリをすることにした。後日聞いたところによると、そんな小四の小さな企みは気持ちよいくらいバレていたようだった。
 でもハハも眠っていてしばらく先生が来ていたことに気付いていなかったそうだから五分五分である。僕らは揃って寝顔を見られたお間抜け母娘である。
 肺炎の思い出は、少し恥ずかしい。

(もしも東京でSARSが流行りだしたら、僕は宮城県に一時退避することが、両親によって決まっている。そういえば最近コカ・コ○ラについているジャンプのオマケフィギュアのサンジさんを当てようと躍起になっているのだが、一向に当たる気配が見られない。ああ、サンジさん、何故僕の手元に来てはくださらないのか!これじゃあちょっと金出してオモチャ屋でいいサンジさんを買ったほうが確実なような気がしてきたぜ・・・!今度オモチャ屋に行くぜ。と思っていたら、吉田君がマイスウィートハートサンジさん(阿呆だ、俺・・・)を当ててくれた!でもちょっとイイフィギュアも買うぜ!(買うのかよ!))

A Theatrical Campany yakoudou