其の五拾六『黄昏時のヲトコ』の巻



 夏が、夏が終わった・・・。
 TBS系ドラマ『ひと夏のパパ』を見て、ギュインギュイン目まぐるしく変わるカメラワークの中、必死に松田(悟志)くんを探してはキャーキャー大盛り上がりだった、あの夏が終わったのだ・・・。
 毎回関節をギクギク言わせながら魅せてくれたあのダンスで盛り上がってから、ホクホクと眠りにつくのが毎週水曜日の僕の愉しみだったと言うのに。嗚呼、ここから先、僕は一体何を支えに生きていけばいいのだ・・・!クウゥッ!(んな大袈裟な)
 最終回、大盛り上がりのステージの上で、これでもかってえ程の笑顔を大盤振る舞いしていた楽しそうな君を僕は生涯忘れはしないだろう。ありがとうッ、柴田ジュン(役名。しかし実のトコロ最も気に入っていたのは、『夢の中へ』に乗せて踊った時の学ラン姿でありました。可愛いぞ、柴田ジュン。)!
 そして秋がやってくる。
 落ち葉がカサコソと足下で音をたてる季節がやってくる。
 夕方の風がひんやりと感じる頃になれば、僕は思い出す。
 あの日に出会ったあの人のことを。
 その人は真っ黒な帽子を被っていた。
 小さな小学生だった僕には、それは天を刺すように高いところにあるもののように見えたものだった。その人はいつも、小さな公園のブランコに腰をかけ、ゆっくりと椅子を揺らしていた。
 静まり返った公園に、キィキィ・・・と軋んだ音が響く。
 いつもその人を見かけるのは夕暮れ時だったし、それに真っ黒な帽子を目深に被っていたので、僕はその人の顔を知らなかった。その人は学校の終わる頃には既にそのブランコに腰掛けていて、そして役所が鳴らす『赤とんぼ』が聞こえる頃に、ふいっといなくなるのだった。僕が目を離しているほんの少しの間に・・・、目の前を通り過ぎるトンボや、近くの路地で鳴く姿なき猫に気をとられているほんの少しの間に、その人はブランコから、まるで夕闇に溶けるようにいなくなってしまうのだ。
 取り残されたブランコだけが彼の名残か、ほんの少しだけ、揺れている・・・。
 キィ、キィ・・・・。
 その人はいつもそこにいた。
 だけど、その人のココロはまるでどこにもないようだった。
 一度だけ、その人が小さな小学生の女の子と話をしているのを見たことがある。
 その人はカサカサの乾いた手に人形を持っていて、なにやら小さな声で、しかしながら必死に少女に語りかけているのだった。
 僕はどうしてもその人の話が聞いてみたくて、ブランコの近くにある土管の影に身を潜めた。彼は僕に気付いてはいない。足首を掴まれた人形だけが、真っ黒な洞窟のような目で僕を見つめていた。
 「ねぇ、君は解っていないんだ」
 男が話し始めた。
 「私はね、こう見えても昔立派な立場のある人間だったんだ。しかし、横暴が祟ったとでも言うんだろうねェ、私の遣り方に反対する者達から国を追われ、今はこうしてこんな狭い世界に生きねばならない身となったのだよ。」
 地を這うような低い声が語る。
 「国を追われてからというものの、私は誰からも気に掛けられることもなく、こうしてここで毎日ブランコを揺らして生きている。最初はまだ良かったんだ。少しは元の世界に戻る為、無駄に藻掻いたりもしたものさ。けれど、私ももう歳なんだろうねェ、すっかり疲れてしまったよ。」
 カサカサとした肌がグニャリと歪んだ。
 笑っているのだ。
 「ヒ、ヒ、ヒ。消え去ることも出来ず、ただただ虚ろにこの数時間を生き続けるなんて、哀しいことだとは思わないか、君ィ。だからね、考えたんだよ。独りぼっちでいるから哀しいんだ。誰かが私と一緒にこのわずかな時間を生きてくれれば、私の哀しみはほんの少しだけ薄れるんじゃないだろうかとね。」
 枯れ枝のような手が少女の腕をギュウっと掴んだ。
 「どうだね、私と一緒に生きてみないか、この誰ぞ彼ぞ(たそがれ)時というわずかな時間を・・・」
 少女が首を横に振る。
 両端に結んだ柔らかい髪がふわりと揺れた。
 「嗚呼、駄目かい?駄目なのかい?この人形をあげると言ってもかい?君はこの人形を欲しがっていたじゃないか。嫌なのかい?そんなに嫌なのかい?嗚呼、どうしてだ、どうして誰も解ってくれないんだ!」
 少女が男の手を振りほどいた。
 グラリと大きく体が揺らぐ。
 男はそのまま走り去る少女を追おうともせずに、両手で顔を覆った。
 「嗚呼、嗚呼、行ってしまった。昼でもなく夜でもない。光でもなければ、闇でもない、この何もかもが曖昧な時の中で、もう二度と誰も私に気づきはしないだろう。私は私を永遠に癒やしてくれるものが欲しカッタだけなのニ・・・」
 夕日が沈んでいく。
 遠くから『赤とんぼ』が聞こえてきた。
 「闇がやってくる・・・。脆弱な私は簡単に呑み込まれてしまウ。誰か、誰カ、ダレカ、だレカ、誰デモいいンダ・・・ソウ」
 男がカッと目を上げた。
 「君デモネ」
 彼はおもむろに立ち上がった。
 ギィ、とブランコが軋む。
 真っ直ぐに僕を見つめたまま、枯れ枝のような手足をガクガクと動かしながら男は走ってくる。
 カタカタと膝が震えた。
 逃げなければいけないと解ってはいるのに、立ち上がることすらままならない。
 初めて見る男の顔はまるで木の幹のようにカサカサに枯れ、落ち窪んだ空洞の中に黄色味がかった目玉がギョロリと浮いていた。節くれ立った指が藻掻くように空を掻き、まるでその姿は水の中を歩いているようだった。
 近づいてくる、近づいてくる。
 立ち上がれない、逃げられない。
 冷たい汗がヒタリと顎を伝って落ちた。
 その時。
 ガクン、と突然男の膝が折れた。
 思わず悲鳴があがる。
 膝が有り得ない方向に曲がっていた。真っ黒な靴先が、男の額の方を向いている。膝だけではない。腕は捻り上げられたかのように不自然に上を向き、腰は絞られた雑巾のようにグニャリと捻れた。おしまいに首が、ガクンと真後ろに垂れる。黄色がかった目はカッと見開き、口は虚しそうにカクカクと開いたり閉じたりを繰り返す。
 「ア・・・グァ・・・アア・・・・」
 口の端からブクブクと泡がこぼれる。
 もう言葉もままならないようだった。
 彼は壊れた人形のような格好のまま、ずずず・・・と地面に引きずり込まれはじめた。地面に、というよりは、夕暮れによって作られた自らの影の中に引きずられていく。
 バキボキ、と骨の砕けるような音が聞こえる。
 僕は耳を塞いだ。
 ほんの1分ほどのことだったのかも知れない。
 しかし僕にはえらく長い時間をかけて男が呑み込まれていったように感じた。
 やがて『赤とんぼ』が鳴り終わると同時に、男は完全に闇の中に消えた。
 「彼は黄昏時にのみ、この世に存在出来るのかも知れないね」
 と、後にこの話をした時にヤス君は言った。
 ヤス君はなんでも知っている。
 「ああして黄昏時が終わると同時に毎日死んでいくんだ。昼が終わり、光と闇が曖昧に混じり合う時間だけ、彼はこの世に現れる。そして夜がやってくると同時に死なねばならない。彼はそんな孤独な時間を共に過ごす誰かを探しているのかも知れないね。なんにせよ、君が無事で良かった」
 ヤス君はそれから、とてもとても小さな、虫の羽音のような声でこう続けた。
 「けれど、毎日『死』を迎えねばならないというのは、一体どういう気持ちなんだろうね・・・・?」
 それから僕はその公園を見なくなった。
 きっとブランコにあの男が座っていても、気づきはしないだろう。そしてこちらが気づかなければ、あの男もまた、僕に気付くことはない。
 僕の知らない夕暮れに、またあの枯れ枝のような男は・・・。

(『Dr.コトー診療所』を見るにつけ、僕は和田さんの嫁になりたいと思います。)

A Theatrical Campany yakoudou