其之七拾市『神社に行きますか』の巻



 正月がやってきた。
 ついに、ついに正月がやってきたのだ!(ババ〜ン!)
 しかしいい大人になってしまった僕にとっては、特にどうということはない。
 ただ朝飯が藤崎デパートで頼んでおいたおせちだったり、主食がお米じゃなくて餅だったり、汁物が味噌汁じゃなくてお雑煮だったりするだけだ。
 両親に三つ指をついて挨拶をし、お金の入った小さな袋をもらってホクホクと微笑んでいた幼き日の僕のドキドキはいったいどこへ行ってしまったのだろう。
 板の間に長細い半紙を広げて「初日の出〜ン」などと書き、ココロ晴れ晴れとしていたあの頃の僕はいったいどこへ行ってしまったと云うのか。
 こんなことではいけない。
 今年はシャキッと書き初めなんかをしてみようと思い立った。
 静かな気持ちで墨をすり、姿勢も正しく筆を持つ。
 真っ白な半紙にスッと筆先をつけたら、あとは一気に思い切りよく書き上げる。

 『具が多〜い』(←とても綺麗な字で)

 ・・・・駄目だ。
 てんで駄目だ。
 ちっともシャッキリしていない。
 大人の世界にまみれた僕に、習字とはあまりにも高すぎるハードルであった。
 もう昼どきであるのに関わらず、近くの神社からは『バンビヨホオホゥンワ〜〜』という鐘の音が聞こえてくる。
 夏祭りと初詣の時期にしか人で溢れることのない小さな神社だが、大晦日の晩には賽銭箱付近を先頭に、鳥居を越すまでの大行列が出来上がる。
 七海家も毎年お世話になっている神社である。
 行列の途中には、通称甘酒オジサンと僕が勝手に呼んでいる地元のオヤッサンが待ちかまえていて、「温まるよぉ〜。温まるよぉ〜。」という呼び声と共に甘酒を勧めてくる。
 小さな紙コップの中に、真っ白な甘酒。
 鼻水も凍るような東北の冬にほわほわと優しく揺れる湯気は、まるで優しい毛布のように僕らを誘う。
 が、しかし。
 僕は甘酒が嫌いだ。
 酒のくせに甘いのが許せない。
 ついつい「ウエ」ってなってしまうのだ。
 そんな僕の事情などお構いなしに、オヤッサンは甘酒を勧めてくる。
 「温まるよぉ〜。温まるんだよぉ〜。」
 呑めねえっつうの。
 呑めねえっつうんだっての。
 よくよく見てみると、甘酒を勧めているオヤッサンの足下に半分ほど中味の入った一升瓶が寄り添うように置いてある。
 オヤジ!!
 クォラ、オヤズィ!!(思わず巻き舌)
 人に甘酒勧めておきながら、自分は日本酒で温まっとったんかい、こ〜の酔いどれウサギがァ!(←意味はない。)
 どうりで鼻の頭がほのかに赤いハズだ。
 僕の後ろに立っていたオニイちゃんに甘酒を受け取ってもらえた酔いどれオヤッサンは、赤い鼻をこすりながらウヘヘと笑ったのであった。
 嗚呼、篝火がはぜておる。
 神社の隅には鐘があり、コレがお爺さんから赤ちゃんまで自由に打つことの出来るというかなりフリーダムなシステムになっている為、正月ともなれば夜だろうが昼だろうが「バインバイ〜ン」と絶えず参拝客が鐘を打ち鳴らしていく。
 煩悩の数など最早問題ではない。
 チカラを込めて、願いを込めて、明日のために打つべし!打つべし!打つべ〜し!!

 『バンビヨホオホゥンワ〜〜』。(←かなり忠実)

 近くに住んでいる者にとっては結構な騒音であるが、これも正月ならではの風物詩である。いうなれば、期間限定ご近所公認騒音みたいなもので、人々が願いを込めて打つ鐘を止めることは誰にも出来ないのだ。
 神社の敷地の真ん中には大きなたき火が焚かれていて、暖をとろうとする人々で大きなマルが出来ている。
 ふわ〜と口から息を吐けば、たちまち真っ白な湯気が立ち上る。
 冷たい空気が肺に入れば、なんだか体の中が洗われるようなサッパリした気持ちになる。
 さて、今年もどうにかのほほんとやっていこうかな、という気になる。
 僕が小さい頃、正月は特別だった。
 元朝参りの為の夜更かしも、夜に出歩けるということも、お節もお餅もお雑煮も、全てがドキドキする対象だった。
 あれから何年も経って、僕はイイ大人になって、夜更かしも夜の出歩きも特別なことではなくなったけれど、やはり正月には特別なチカラがあるらしい。
 こうして誰やも知らない人々とおんなじ火にあたっていると、なんだか不思議にふふふと笑い出したいような気になってくる。
 鐘を鳴らして。
 破魔矢を買って。
 おみくじを引いて。
 たとえそれが善い相でも、悪い相だったとしても。
 ともあれこうして、一年が始まる。

 「あけましておめでとうござります」。


(僕のハハは1月2日生まれ。「あけましておめでと〜!」と云うと、必ず「目出度くなんかないわよぅ〜!歳一個とっちゃうんだからぁ〜!」と云います。そのくせ、誕生日を祝わないと怒ります。う〜ん、女心って複雑ネ!)