其之八拾玖『お便所〜あくまで凛とあくまで気高く〜』の巻



 誰もが一度は体験したであろう、それが『お泊まり保育』だ。
 それは僕がぴっちぴちの幼稚園生時代、突如として訪れた試練であった。
 何故だ・・・!
 何故こんな意味もなくぴょんこぴょんこ跳ねているような輩と一夜を共にせねばならぬのだ?家でテレビを見ていたほうが、どう考えても数倍お得であることは間違いない。
 さらに幼き頃、ハハが病気で入院した為、爺ちゃん婆ちゃん家に単身赴任(?)を余儀なくされた経験のある僕にとっては、両親と離れてお泊まりをする悲しい経験など必要ないのである!
 もしこれがきっかけで幼き頃のトラウマが大爆発してしまったら一体どうすればいいのだ!?仏間でお婆ちゃんとふたり、足裏をもみもみとしてもらいながらハハと離ればなれの淋しさ涙と共に寝付いていたあの悲しみが再び僕のココロに蘇ってきたとしたら・・・一体誰が責任をとってくれるというのだ〜ァ!!
 「もとより幼稚園教諭などあてにはならん。」←幼き日の僕の思考。
 僕はイヤな子どもだった。
 幼稚園の先生に怒られた翌日、「親でもないヤツからなんで怒られなければならないのかわからない」という非常に哲学的かつ阿呆この上ない理由から、「もう幼稚園にはいかん!」と座り込みを決行した事実はあまりにも有名である。
 (しかし「行きたくな〜い!」と叫びながらハハに幼稚園まで引きずられて泣く泣く登園した事実はあまり知られてはいない。)
 つまり幼稚園という場所は、その時の僕にとって、一夜の命を預けるにはあまりにも信用ならぬ場所であったのだ。
 「ゆうはんはみんなでつくるカレー」だとゥ!?
 「よるはみんなでたいいくかんでねます」だトゥ!?
 眠れるかーーーーーーーー!!
 かんちこちんの床に薄い敷き布団と子ども用タオルケットで眠れるかっつうの!わしゃあ、自慢じゃないが、足まですっぽり入るお布団でしか眠れないのだ!
 隣のタケちゃんはヨダレを垂らしている。
 親を思いだしてワンワン泣く子どもは、先生の手によって廊下に連れ出されて行く。
 ふ、情けないヤツめ・・・。
 そう思った瞬間、何故かふいっと両親の顔が脳裏に浮かんだ。
 い、いかん!このままじゃホームシックモードに突入してしまう!!
 目にじわりと浮かんだ涙をタオルケットでこすり、僕はタケちゃんを踏みつけ、光の漏れる扉を押し開けた。
 不思議に昼間にやった「水着でスイカ割り(水着は紺地。胸にハートから飛び出すミッキー柄でありました)アンドその後スイカでオヤツ」などのことはほとんど覚えていないくせに、夜のこの光景だけは今でもはっきりと覚えているのだ。
 扉からまっすぐに広い階段があって、その踊り場にはパイプ椅子に腰掛けた先生と、愚図りながら先生の膝に顔を埋めて眠っている先ほどの子どもの姿が見えた。
 先生は僕を見ると、唇に人差し指を当てて小さく「しぃ」と呟く。
 扉を開けたまま仁王立ちしている僕の元に、他の先生がやってきて、そっと僕の手からノブを奪うと後ろ手に扉を閉めた。
 「どうしたの?起きちゃったの?」
 七海明美5才。
 ここで泣いては女がすたる。
 僕はハッキリとこう云った。
 「お便所!」
 凛々しい・・・。かつてこれほど凛々しく尿意を主張する幼稚園児がいただろうか。しかもあくまで「トイレ」などではない。かくもそれは「お便所」でなければならなかったのだ。古き良き日本語だ。僕は今でも稽古中に「お便所!」と発して部屋を出ていくぞ。
 たいして夜遅くもなかったに違いない。
 今、こうして大人になった僕らにとっては起きていることなど造作もない時間だったろう。しかし、おつむてんてんの幼稚園児だった僕が「こんな深夜に起きていなければならないとは・・・先生ってヤツもなかなかやるじゃねえか・・・フッ」と思うには充分な時間であった。
 僕は幼稚園の先生というものを少し見直した。
 そしてなんだか悲しくなった夜には、お便所で一息つけば不思議に落ち着くことが解ったのだ。オレンジ色の電灯を見てあげ、ひとつ息をつけばもう大丈夫だ。
 僕はオレンジ色の漏れる扉を背に、また薄暗闇の部屋へと戻っていった。
 タケちゃんを踏みつけ、自分のタオルケットの中に潜りグウグウと眠る。
 タケちゃんが少し「グエ」と云ったような気がしたけれど、そんなことは眠りに落ちようとしている僕には関係のないことだ。
 翌日、ガチコチの床で寝た僕の体は、じんわり痛くなっていた。
 そしてタケちゃんはやっぱり横で眠っていた。
 僕はタケちゃんを踏みつけて、外を見上げた。
 どこまでも青い、綺麗な空だった。
 僕はお泊まり保育で少しだけ大人になった。


(そしてタケちゃんは仏になった・・・。←んなわけあるかい!!)