其之弐百麓拾似『嘘物語「虫」』の巻



ある日小さな虫にあった。
虫はふよふよと羽根を揺らしながらやって来て、「明日はー晴れだよー」と言う。
次の日は快晴だった。
また小さな虫が来て言った。
「明日はー雨だよー」
次の日は土砂降りの雨だった。
下手な天気予報よりずっと役に立つ、と思った。
次の日も次の日も虫はやって来た。
虫は明日起きる出来事を一言だけ言って、またそのまま何処かへふよふよと消えて行くのだ。
虫の言う事は大抵天気のことだったが、時が経つにつれそれ以外のことも話すようになりはじめた。

「明日はー赤いよー。右足がー赤いよー」と虫が言った。
翌日、僕は右足を釘に引っ掛けて怪我をした。
思いの他深く引っ掛けてしまい、右足が赤く染まった。
また次の日、「明日はー赤いよー。顔がー赤いよー」と虫が言った。
僕はその日一日、顔に気をつけながら過ごした。
その日は学校で彫刻の授業があった。
僕の向かいで彫っていた友人が、手を滑らせて手を切った。
勢いよく噴き出した血が、僕の顔にパッと飛び散った。
虫の言うことは必ず当たる。
それは間違なく僕にふりかかる出来事なのだが、もしかしたら誰かの身に起きたことの余波によるものかも知れないことを知った。

「明日はー優しいよー。とっても優しいよー」
僕の心は踊った。
次の日僕はいわれのない事で苛められた。
血だらけの僕を、保健の先生が優しく手当てしてくれた。

明日のことを知るのが怖くなった。
明日のことを知らなければ、期待も怯えもせずに済む。
虫は危険も知らせてくれるが、僕には何が危険かわからないし、虫は曖昧な事しか言わないのだ。
僕は虫を見ないようにした。
しかし虫はやって来る。
そして僕はまた虫の予言を聞くのだ。
「明日はー白いよー。とっても白いよー」

翌日学校から帰ると、母親が一人台所に座っていた。
「お父さんはどっかへ行っちゃったわよ」と、青と赤が入り交じったボコボコの顔をしてそう言った。
いつの間にか握り締めていた僕の拳は真っ白だった。

虫が僕の前に現れるようになってから、ちっとも良い事がない。
何故虫は僕の元へ現れるようになったのだろう。
わからない。
そうこうしている間にも、僕の右耳の後ろのほうから虫の羽音は聞こえてくる。
僕は右耳の辺りを払った。
パシッと何かが弾ける音がして、虫は消えた。

翌日、また虫は現れた。
今度は左耳の辺りに羽音がした。
「明日はー晴れだよー。青空だよー」と虫は言った。
翌日は午後から土砂降りの雨になった。
傘を持っていかなかった僕は、雨に濡れて風邪をひいた。
「明日はー元気ー。元気になるよー」と虫が来て言った。
翌日僕は、39度の熱を出して学校を休んだ。

どうやら二番目に現れた虫は、起こる出来事と反対の事を言うようだ。
「明日は元気ー。どんどん元気になるよー」という声を払うと、また虫は消えた。

風邪はそれから長引いて、結局一週間ほど学校を休むこととなった。
二匹めを払ってから、虫は僕の元に現れない。
僕はホッとした。
明日何があるかはわからなくなったけれど、わからない安堵感が僕の心を穏やかにさせた。
ところが。
僕が学校に復帰して一ヵ月が経とうかという頃、また虫が現れた。

その虫は前の虫と比べて黒く、大きい気がした。
虫は前よりも大きな羽音で近付いて来て、丁度僕の真後ろの首筋の辺りで予言を言った。
「明日はー痛いよー。とても痛いよー」
翌日、僕はとても気をつけて学校へ行った。
階段を上る時も、椅子に座る時も、慎重に気をつけた。
休み時間、階段をゆっくりと下りている時、丁度僕の真後ろの首筋の辺りで羽音がした。
その直後、チクリと首筋に痛みが走り、驚いた僕は足を踏み外して階段を転がり落ちた。
足首がゴリと鳴って、僕は捻挫した。
その夜は痛みで眠れなかった。

虫が払えない。
羽音がした時に手を首筋に向けるのだが、いくら手を動かしても羽音はやまない。
あんなに大きな虫なのに、何故だろう。
そのうち虫は話し出す。
「明日はー友達がーいなくなるよー。ふっと突然いなくなるよー」

翌日僕は友達のたくやんを見ないようにした。
僕が見なければ、それはきっと起こらない。
「なぁーどうして遊んでくれんのー?」というたくやんに、僕は小さな声で「ごめん」と繰り返す他なかった。
放課後、何事もなくたくやんと別れた。
「明日は遊んでなー」と寂しげにたくやんは言って背中を向けた。
ふと思った。
虫が言った「友達がいなくなる」と言うのは、死ぬとかそういう事ではなく、僕と友達でいることをやめてしまうという事なのではないのか。
今日の僕の態度がきっかけで、たくやんは僕の前から消え、僕は独りぼっちになってしまうのではないか。
「たくやん!」
僕は居てもたってもいられず、たくやんの後ろ姿に向かって叫んだ。
たくやんが振り返る。
「明日は遊ぼうなぁー」
僕が叫ぶと、たくやんはたちまち笑顔を浮かべて「おー」と答えた。
僕は涙が出そうになった。
僕は、いや僕たちは、虫の予言を覆したのだ。

「じゃあなー」とたくやんが笑顔で背中を見せた一瞬後、猛スピードでやって来たトラックの下に、たくやんの姿は消えた。
トラックの割れた窓から、あの羽音と共に黒い虫が現れて、何処かへ消えた。

たくやんの葬式後、僕の周りから友達が離れていった。
僕といると死ぬ、という噂が流れたからだ。
僕は独りぼっちになった。

僕が学校に行かず、部屋に閉じ籠るようになってから、虫は現れない。
だけど、僕は暗い部屋膝を抱えながら虫を待っている。
あの首筋から聞こえる羽音を待っている。
あの黒い虫は、予言を自分の力で叶える虫だから。
だから。
「明日はー無いよー。もう何にも、無いよー」
早く虫が、そう言ってくれる日を。
待っている。


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