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まわる 大量のコピー済書類を抱えて事務所に入ってきた私を見た途端、彼の顔は「しまった!」って感じに歪んだ。 ユカちゃんの顔は「助かった!」と言っていた。 あたしの顔は・・・どうだったろう。願わくば、眉一つ動かさない無表情を保てているといい。 一瞬、緊張の走った室内は、振り返った顔をくるりと元に戻し、 「で、さぁ、その友達がね・・・」 と話し始めた彼の声で、微妙な緩みを取り戻す。 どうやら、あたしの存在は無視することに決めたらしい。 いつものことながら・・・。 正直な人だと感心すべきだろうか。余りにも失礼な態度だと憤るべきだろうか。それとも。 可哀相なアタシ、にとことん浸ってみるべきだろうか。 どれを選ぶにしても、とりあえずは手を動かして目の前の作業を終えないと、折角の休日に出勤をする羽目になってしまう。 別に何の予定があるわけじゃないからいいんだけれども。 黙って席に戻り、腕の中の書類を崩さないように置き、机の引き出しからホチキスを取り出す。 トントン、ぱちん、ぱちん。 「絶対、面白いよ。そうだ、今度、一緒に行こうよ」 「あ、そうですね・・・」 今日の晩ご飯は何にしようか。面倒だからコンビニ弁当で済ますか。あ、でも昨日買った大根がまだ残ってるんだっけ・・・。 「澤村さんって、休みの日とか何してるの? そう言えば、明日から3連休じゃん。一日くらいどこかに遊びに行こうよ」 「あ、えっと・・・・。明日からオヤがウチに来ることになってて・・・」 「え? あ、ああ、そうなんだ・・・。へぇ・・・。いや、別にいいよ、ほら、暇だったら、どうかなって思っただけだし、別に、うん」 「・・・すみません」 「いいって! 一人っ子なんでしょ? 親御さんきっと何かと心配なんだよ。だって、この前の休みの時も来てたんでしょ?」 「あ、ハイ・・・」 つくづく、白々しい会話だ。 とっくに成人した娘に休みになる度に会いに来る親がどこにいる。 お互いそれを承知しているくせに、女はそれを遠回しの拒絶の手段として使い、男はそれに気付かぬフリ、騙されるフリで、あくまでその拒絶を受け取らない。 下らない。馬鹿らしい。 大根の有効な使い道を考えている方がよっぽど建設的だ。 あ、サラダにする、という手があったな。それならコンビニ弁当と両立できる。確かドレッシングも冷蔵庫に残っていた、はず。良し、良し。 トントン、ぱちん、ぱちん。 あと、78部。 「あ、じゃあさ、この後、飯食いに行こうよ。仕事、もう、それで終わりなんでしょ?」 食い下がる男。みっともない、のギリギリ一歩手前。何気なさを装っているが、必死なのが見え見えだ。 女がうっすらと嫌悪感を滲ませ、声を固くして答える。 「約束があるんです。トモダチと」 「・・・そうなんだ」 「はい。あの、お先に失礼します」 言葉と共に、そさくさとその場を立ち去る気配。 陳腐な猿芝居、本日の部、これにて終了。お粗末様、ってところだ。 しかし、彼女には残業中の先輩を手伝おう、という気持ちはないのだろうか。 ま、元々期待なんかしちゃいなかったけど。 トントン、ぱちん、ぱちん。 あと、75部。 ぱたん、というドアの閉まる音に合わせて、つぶやいてみる。 「嫌われてるのよ。いい加減気付きなさいよ」 「黙れ」 返事が戻ってきたことに気を良くして、私は続ける。 「ユカちゃん、更衣室で良く云ってるわよ。あなたがしつこくって困るって。得意気にね。 あなたが、いつ、どこに彼女を誘ったか、会社中の女子社員が知ってると思っていいわね」 その瞬間、彼の腕が伸びてきて、折角揃えたホチキス前の書類を床に乱暴に叩き落とした。 ちょっとだけビックリした。 「オマエに云われる筋合いはない。じゃあ、これは知っているか? オレはオマエのことが大嫌いだよ。顔を見るだけでムカムカする。今、同じ空間にいると思うだけで、うんざりだ。 もうオレを見るな」 「あなた、ユカちゃんに『もう、私を誘わないで下さい。迷惑です』って云われたら諦めるの?」 くるりと椅子を回して、背後の彼と目を合わす。静かに笑んでみせる。 心底嫌なモノを見た、という顔で彼は目を反らす。 「同じコトよ。あなたの想いと私の想いと。どちらも等分に相手にとっては価値がないの」 「・・・一緒にするな。吐き気がする」 「そうね。生殺しにしないでハッキリ拒絶を伝えるだけ、あなたの方が彼女より誠実だわ」 「それ以上、喋るな。女を殴りたくない。いや・・・。殴る、という形ですらオマエに触れるのはゴメンだ。手が腐りそうだからな」 普段は取り澄ましているこの男のこんなに醜い顔を、汚い言葉を、知っているのはきっと私だけだ。 そう思うだけで背中がゾクゾクする。 いくらでも私を嫌えばいい。空気のように扱われるより、その方がよっぽどいい。 「早く俺の前から消えてくれ」 静かな声で憎々しげにそう言い捨てて、彼は、乱暴な足取りで事務所を出て行った。 ドアが壮絶な音を立てて締まるまでその後姿を見送ってから、足下に散乱した書類を眺めて、私は溜息をつく。 あと、75部。 終電に間に合わなかったときのことを考えて、財布の中の残金を思い浮かべながら、私はゆっくりと書類に手を伸ばした。 |